消費社会からの逃走
実家で夕食を食べていると、株価の話が話題に上がる。さも自分が儲かっている様な口調ではしゃぐ親を見てため息をつきたくなる。
私が「買って置けばよかっただろう」と水を向けると、
そんな危険な博打が出来るわけがない
なんぞと答えられた。いやはやw。
リスクをとらずにリターンばかりを求める。この低金利のご時世に「預金こそ神」と公言してはばからないだけのことはあるorz。
しかし、家も出て行くことももはや間々ならぬ。このまま朽ち果てるのも一考だw。
稼いだ金をあらかた管理口座に置くのも己の諦観を強化しているのだろう。欲しい物なぞ何もない(と、思い込む)事は魂の平安を保ち易い。
必要な金額のみを稼ぎ、必要な消費のみを行う生活は意外と気楽な物なのだ*1。大体、一般的な意味での消費活動には興味ない。
ある意味NEETや引きこもりという存在は人間性すら消費しようとする社会に対する抵抗運動なのかもしれない。サイレントテロと呼称される事もあるが、彼らは社会に対して誠実であろうとするがゆえに自らを追い込んでいるのではないだろうか*2。選挙も革命も宗教も無力ならば、自分で社会を否定して見せるしかないではないか。社会参加を拒否することが彼らの意思表示なのだ。